お金について考えるブログ

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09-労働で得たお金は、命の結晶でもあります

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労働で得たお金は、あなたの命や記憶と引き換えにして得た物です

大人になれば、生きていくためにお金を稼ぎます。 世の中の恐らく過半数以上が会社で労働する事によって代価として給料をもらっている人達でしょう。 私もサラリーマン時代には全く気づかなかったのですが、独立して事業を立ち上げてみると、全く違う意味があることに気づきました。 

皆さん労働の対価としてお金をもらっています。 お金をもらう代わりに皆さんは必ず何かを失っているはずです。 それは何でしょう。 仕事をする事で、その経験を得て、キャリアを積んで更に大きな仕事をして、良いことばかりじゃないのかと考えている人もいるかもしれませんね。 でも皆さんは確実に仕事以外の生活の時間を犠牲にしています。 本当は家族と過ごすはずの時間、自分の趣味に使うはずだった時間、それを失っています。 人生の一定の時間を消費していますので、命を削ったとも言えます。 ただ人は人生が限りのあるものだと頭で知っていても実感として持っている方はほとんどいないので、命を削ったと言ってもピンとこないはずです。 でももうちょっと実感しやすい表現をすると、記憶を失っていると表現するのが的を得ているでしょう。

仕事のほとんどは地道な単調な繰り返し作業です。 一部とても刺激的でクリエイティブな面もありますが、それを実行するためにある大量な単調作業があること、社会人なら皆さん知ってますよね。 そういう時間は意味のある記憶として皆さんの脳には残らない物が多いです。 仕事の熟練度・勘といったものに昇華蓄積されていきますが、それは思い出記憶とは異なります。 

皆さんは実感しているのでは無いでしょうか? 子供の頃は1年がとても長く感じた事を思い出せると思います。 しかし、大人になって社会人になって感じる1年は本当にあっという間です。 これは時間を失い、本来得るべきだった思い出記憶を失っている結果なのだろうと思います。 なので仕事をしてお金をもらうと言う事は、命と記憶を代価にお金をもらっていると表現出来ると思います。 仕事が忙し過ぎて、現実の時間を生きる時間が少なくなればなるほど、家族や子供達との時間の感覚のずれを感じませんか?  きっと多くの時間を失い、多くの記憶を失っているのだと思います。 そしてある意味仕事をしてお金を稼ぐ人の宿命とも言えます。 

あなたの旦那さんに1ヶ月前に話したことを、今思い出した様に話すのは、決して忘れてた訳では無く、旦那さんがその1ヶ月間の記憶を給料に換えたのだと思って上げた方がよいでしょうね。