お金について考えるブログ

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11-命の価値をお金で測る

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命に値段を付けることは出来ませんというのは建前で、実際に多くの人が命の価値をお金に換えています

過去の章で、労働で得たお金は命の結晶だと言うお話をしました。 しかし、働いている人達がそれを実感する事はほとんどありません。それはほとんどの人が自分の死を今で無い遠い未来の事だと思っているので、命がお金に置き換わっていると実感する人はいないでしょう。 しかし、人は自分の死を目の前に突きつけられると、よりリアルに自分達の命がお金に置き換わっていると言う事を理解し、その意味を重く受け止めることになります。

一番多い状況は生命保険の契約などの際に実感されるのではないでしょうか?
生命保険は被保険者が死亡した際、その方が標準的な寿命を全うした際に一生かけて稼いだで有ろうお金の総額と、その人が消費したであろう生活に必要な総額を引いた値を保険の総額とする事が多いでしょうね。 掛け金が高ければ保険金の額も大きくなりますが、被保険者が契約期間に死亡しなかった場合はその掛け金は無駄になります。 一方で保険会社は人が死亡するリスクをその際に支払われる額、そしてそれらの会社を維持管理して行くのに必要な経費を計算して、掛け金を算出しているはずです。 こう言った命をお金に無理矢理変換する行為は、生命保険だけででなく、殺人事件などで生じた被害者家族などへの賠償金の計算にも使われます。 

日本の様に平和で安定した社会では当然、「人の命はお金では買えない」と言うのが良識を持った考え方なのでしょうけれど、いざ人が死んでしまった場合、人の命に無理矢理に標準化した価格をつけようとします。 この行為を詳細に解説してしまうと、きっと多くの人を不愉快にさせると思うので、あえてこのブログでは記載しません。 人の命に価値を計る行為は、実に多くの矛盾を全て無かったことにして、人は自分の命や他人の命にお金という尺度で価値を算定しようとします。 そしてそれは自分達が意識しないだけで、皆さん日常的に自然にやっている事でもあります。